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今週のZファーマー
アグレッシブなZファーマーたち
天下の清水白桃は岡山にあり!
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桃ぶどうなど生産する、JAなどを通してデパートなどに出荷される
出荷できるのは全体の4割程度
規格外の桃は親戚にあげたり地元へ行商することもある(これは、桃がもったいないから)
1月 桃・ぶどうの温室の土の堆肥搬入、中耕。ぶどう剪定
2月 マスカット(ぶどう)の加温準備。ボイラー点検(整備・清掃)
3月 マスカットの房の手入れ
4月 マスカットのまびき作業
5月 コールマン(ぶどう)のまびき作業
6月 各種ぶどうに予防薬散布(7~10日間隔で、2~3ヶ月間実施)
7-8月 桃とマスカットの収穫と出荷
9-10月 冷室マスカットの収穫と出荷
11-12月 コールマンの収穫と出荷
VOL.1桃農家のおじさんに会ってきた。
2008.11.18 Tue
岡山県といえば桃。今回は、実家が桃産地のライター松田が、桃農家に転身した伯父さんに帰省がてらインタビューしてきました。
わたしの故郷は桃の産地だ。小さな頃から、ジュースよりもアイスクリームよりも、何より大好きな夏のおやつは白桃だった。真っ白な肌に、ほんのりと差した紅。うっすらと生えた産毛。少女の肌のように、美しくなめらかだ。少し引っ張れば、皮はするりと手で剥ける。甘露したたるみずみずしい果肉。とろけるような舌触りで柔らかな甘みが、のどをすべり落ちていく。 甘い汁で手をべたべたにしながら、一日にいくつも食べていたこの「おやつ」、じつは決して当たり前のものではないことを知ったのは、いったいいつのことだっただろう。
明治20年、東京では初めて、街灯の灯りが夜の街を照らした。そこから西に700キロ。時を同じくして、岡山は一宮、芳賀清水では、山に一本の桃の木が植えられた。中国から海を渡ってやってきた「水蜜桃」。その名の通りに甘美なこの実は、中国では不老不死の象徴だ。
「岡山ていうたら、桃太郎じゃ。せっかくじゃ、便乗して桃でも育ててみようや。」...と考えたのかどうかはわからない。わからないけれど、かくして始まった桃の栽培。桃太郎の名に恥じない人々の熱意と努力、栽培に最適な気候や土壌とが相まって、この地区の名を冠した「清水白桃」は、後に夏の美味として全国にその名を馳せることとなる。
...ちなみに、この一宮、「桃太郎」伝説のモデルとなった「吉備津彦命」をまつる吉備津彦神社も地区内にある。古代から、桃と縁の深~い地だったのだ。
この一宮地区、芳賀(「清水」の地名はすでに残っていない)の果樹農家で、私の母は生まれ育った。今から60年あまり前、終戦後すぐに、祖父が始めた果樹農家。現在では、二代目となる伯父が中心となり、祖父母とともに、日々頑張っている。
うちの近くの桃源郷
6月の終わり、梅雨の合間のよく晴れた蒸し暑い日、伯父のもとを訪ねた。青田の緑が、目にまぶしい。母の里でもあるこの地は、岡山駅から車で15分ほど。家の前には田んぼや畑が広がり、温室が点在する。そして、すぐ裏手には山が迫る。まさに「里」の見本のような場所である。そしてこの裏山こそが、岡山の誇る美味を育くむ桃山なのだ。春、雛祭りの頃、この山は桃色に染まる。まさしく桃源郷だ。
そういえば、曽祖父は、おととし、105歳で天寿をまっとうした。この山は本当に桃源郷で、桃の実は不老不死(不死じゃないか...)の実なのかもしれない。
...ちなみに、春になれば、つくしも蕨もよもぎも採れる。うちの食卓を豊かにしてくれるのも、この山である。
伯父と会う
山すそに、昔ながらの一軒家がぽつぽつと並ぶ。そのうちの一軒が、祖父母の住む家だ(伯父は、ここから車で10分ほどの場所に住んでいる)。母屋の隣には、棟続きに、作業場、兼休憩所、兼応接間、兼...、いろんな機能が渾然一体となって存在する土間がある。開け放した扉から中をのぞくと、伯父がソファに腰掛けて、ぷかぷか煙草をふかしながら、私からのファックスを読んでいた。部屋の片側には、出荷用の桃を詰める箱が山と積み上げられている。
「おじちゃん、ごめんなー。忙しいさなかに...。」
声をかけると、
「いや、ええよええよ。今ちょうど一服しとるとこ。」
朝からもうすでに、ひと仕事もふた仕事もしてきたようだ。出荷前のこの時期、桃農家の一日は夜明けとともに始まる。
次回は、いよいよ伯父さんへのインタビューがはじまります。
わたしの故郷は桃の産地だ。小さな頃から、ジュースよりもアイスクリームよりも、何より大好きな夏のおやつは白桃だった。真っ白な肌に、ほんのりと差した紅。うっすらと生えた産毛。少女の肌のように、美しくなめらかだ。少し引っ張れば、皮はするりと手で剥ける。甘露したたるみずみずしい果肉。とろけるような舌触りで柔らかな甘みが、のどをすべり落ちていく。 甘い汁で手をべたべたにしながら、一日にいくつも食べていたこの「おやつ」、じつは決して当たり前のものではないことを知ったのは、いったいいつのことだっただろう。明治20年、東京では初めて、街灯の灯りが夜の街を照らした。そこから西に700キロ。時を同じくして、岡山は一宮、芳賀清水では、山に一本の桃の木が植えられた。中国から海を渡ってやってきた「水蜜桃」。その名の通りに甘美なこの実は、中国では不老不死の象徴だ。
「岡山ていうたら、桃太郎じゃ。せっかくじゃ、便乗して桃でも育ててみようや。」...と考えたのかどうかはわからない。わからないけれど、かくして始まった桃の栽培。桃太郎の名に恥じない人々の熱意と努力、栽培に最適な気候や土壌とが相まって、この地区の名を冠した「清水白桃」は、後に夏の美味として全国にその名を馳せることとなる。
...ちなみに、この一宮、「桃太郎」伝説のモデルとなった「吉備津彦命」をまつる吉備津彦神社も地区内にある。古代から、桃と縁の深~い地だったのだ。
この一宮地区、芳賀(「清水」の地名はすでに残っていない)の果樹農家で、私の母は生まれ育った。今から60年あまり前、終戦後すぐに、祖父が始めた果樹農家。現在では、二代目となる伯父が中心となり、祖父母とともに、日々頑張っている。
うちの近くの桃源郷6月の終わり、梅雨の合間のよく晴れた蒸し暑い日、伯父のもとを訪ねた。青田の緑が、目にまぶしい。母の里でもあるこの地は、岡山駅から車で15分ほど。家の前には田んぼや畑が広がり、温室が点在する。そして、すぐ裏手には山が迫る。まさに「里」の見本のような場所である。そしてこの裏山こそが、岡山の誇る美味を育くむ桃山なのだ。春、雛祭りの頃、この山は桃色に染まる。まさしく桃源郷だ。
そういえば、曽祖父は、おととし、105歳で天寿をまっとうした。この山は本当に桃源郷で、桃の実は不老不死(不死じゃないか...)の実なのかもしれない。
...ちなみに、春になれば、つくしも蕨もよもぎも採れる。うちの食卓を豊かにしてくれるのも、この山である。
伯父と会う山すそに、昔ながらの一軒家がぽつぽつと並ぶ。そのうちの一軒が、祖父母の住む家だ(伯父は、ここから車で10分ほどの場所に住んでいる)。母屋の隣には、棟続きに、作業場、兼休憩所、兼応接間、兼...、いろんな機能が渾然一体となって存在する土間がある。開け放した扉から中をのぞくと、伯父がソファに腰掛けて、ぷかぷか煙草をふかしながら、私からのファックスを読んでいた。部屋の片側には、出荷用の桃を詰める箱が山と積み上げられている。
「おじちゃん、ごめんなー。忙しいさなかに...。」
声をかけると、
「いや、ええよええよ。今ちょうど一服しとるとこ。」
朝からもうすでに、ひと仕事もふた仕事もしてきたようだ。出荷前のこの時期、桃農家の一日は夜明けとともに始まる。
次回は、いよいよ伯父さんへのインタビューがはじまります。
今週のZファーマー
Zファーマーとは、自分で考え、工夫や発明を重ねて、クリエイティブな農業を営む農家のことです。

川部正巳さん
滋賀県米原市
占いの人に聞いたら、土か火に関係する仕事が向いてるよって言われたんです。火といえば、消防士でしょ。でも、応募年齢過ぎててあかんかった(笑)。陶芸家、花火師、造園業とかいろいろ考えて、美味しいもの食べるの好きやし、農業がいいかなって思ったんですよね。


